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let me die

じゃ、予告してた通り、重いの行ってみますかw


人が死ぬということ。
ある人のところにも書き込みした時に、ふっと考え付いたんだけど、人が「死ぬ」ってどういうことなんだろうね。
大部分の人間はさ、例えば「心臓が止まった」「脳死状態」とか、色々定義があると思う。
一応、心臓が止まったことを「死」と定義すると、何か非常に違和感を覚える。


最近、「死」=「誰からも、自分の存在を忘れ去られた時」だと思ってる。
もう少し言えば、その人の中の「自分」の歴史が、更新されなくなった時。


例えばさ、今自分の小学校一年生の時に同じクラスだった子。
全員思い出せる?
って聞いたら、多分何人か思い出せないと思うんだよ。
おいらも、どうにも一緒だった奴は沢山いるけど、全員は無理。
ということは、この「少数」のクラスメイトは、既に死んでるってことなんだろうね。
この人達は、忘れ去られてる訳で。
この地球上で生きてても、おいらの中では「死んでる」のと同等の扱いってことだよね。


例えば、志村けんっているじゃん?
彼は昔、何ヶ月かテレビに出なかったら「志村けん、死亡!?」って記事が出た。
数ヶ月メディアに出ないだけで、死亡説が流れた。
それって、危ない考えだよね。


逆に、死んでも尚、生き続けてることも考えられる。
例えばX JAPANのhide。
確かに彼は1998年に亡くなった。
けど、未だに未発表の作品を出したり、キッズ達にコピーされたり、トリビュートされたり、色々なところでその息遣いを感じられる。
おいらの部屋にも、未だに白黒のhideのポスターが張ってある。
そのポスターに「心の中のhideは、何時までも色褪せない」っていうキャッチフレーズが書かれてる。
これはこれで、かなり納得いくと思うんだよ。
他にも沢山の人が亡くなってるけど、未だに生き続けてることもある。


他にもQUEENのフレディ・マーキュリーとかも、未だに未発表の作品を出したり。
果てまた何年かに一度必ず売れまくったり。


劇的な「死」を遂げた、カート・コバーン(ニルヴァーナ)は、未だにカリスマだ。
シド・ヴィシャスだって、未だに誰かが真似をしてる。
マリリン・モンローだって、ダイアナ元王妃だって、絶えず誰かの記憶に生き続けてる限り、死んではいないと思う。


この考えに当てはめると、大体の著名人、歴史上の人物は絶えず誰かに生き続けてることになる。
これが「歴史に習う」ってことで、合点がいく考えだと思う。


死ぬということ。
それは肉体的な破滅でも、精神的な破滅でもなく、他者との相対的位置関係にあるのかなって。
誰かの中で反芻して思い出されてる限り、その人は死んではいないと思う。
骨になって埋められても、その人が「生きてた」何かが見つかって、その都度誰かの記憶に揺さぶりを掛ける限り、その人は死んではいないと思う。


この年の割には、結構其れなりの数の死者を見送ってる方だと思う。
その都度、生きている人間が死んでいく人間に、何が出来るのかを考える。
一番は、「忘れないこと」なんだろうね。
中には忘れたい人間もいるけど、ね。


普段こうやって生きてても忘れることがあるのに、死ぬことでしか人に記憶に留めてもらえないのも、何やら不便だ。


じゃあ、逆説的に考えると。
生きるってなんだ?
逆に考えれば、誰かの中に生き続けることだと思う。
誰かに忘れられないように、生きていく。
凄い簡単で、難しいと思う。
今こうやって、mixiなり、ブログなり、メールなりで存在をアピールしなきゃならないからな。


常に誰かと連絡を取り続けることしか出来ない、そんな人たち。
メールのやりとり「だけ」を信じきる人たち。
何かにつけて集まって、その都度、結束を信じる人たち。
全部「自分を知ってて欲しい。忘れないで欲しい。」っていう、現代的な孤独感で、且つ古典的な存在主張なのかもしれないな。


で、そういうことに執着しなくなった人間は、大体独りになるって話。
けど、「それでも良いよ」って人は、案外忘れられないんだよね。
俺はどうだ?
どっちでもなさそうだな。
不精な割に、人に忘れて欲しくないけど、自分から連絡は取れない感じかな。
だから、こうやって陳腐な文章を書き続けるんだろうね。
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by yosuke0527 | 2006-12-27 01:04 | 日記